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ドゥービー・ブラザーズ!デレク・トラックス・バンド!2大アメリカン・ロック・バンド、初めての競演が実現!東京追加公演が決定しています!
ドゥービー・ブラザーズ/デレク・トラックス・バンド

LIVE INFORMATION
ドゥービーズは、2006年夏のウドー・ミュージック・フェスティバル、DTBは、デレク個人のクラプトン・ツアーへの同行のあとに実現した'07年秋の単独公演以来の正式来日となります!

東京公演
9/25(金) 東京国際フォーラムホールA 18:00 open/19:00 start 
9/26(土) 東京国際フォーラムホールA 16:00 open/17:00 start

料金:S¥13,000 A¥12,000 B¥11,000(座席指定/税込)
主催:TBS/J-WAVE 
後援:FMヨコハマ/bayfm/NACK5/tvk/文化放送
お問い合せ先:ウドー音楽事務所 03-3402-5999

大阪公演
9/28(月) グランキューブ大阪 18:15 open/19:00 start

料金:S¥13,000 A¥12,000 B¥11,000(座席指定/税込)
主催:テレビ大阪/FM802
お問い合せ先:大阪ウドー音楽事務所 06-6341-4506

名古屋公演
9/29(火) 愛知県芸術劇場大ホール 18:00 open/18:30 start

料金:S¥13,000 A¥12,000 B¥11,000(座席指定/税込)
主催:中部日本放送 【後援】FM AICHI/RADIO-i
お問い合せ先:CBCイベント事業部 052-241-8118

東京追加公演
9/30(水) NHKホール 18:15 open/19:00 start

料金:S¥13,000 A¥12,000 B¥11,000(座席指定/税込)
主催:TBS/J-WAVE 【後援】FMヨコハマ/bayfm/NACK5/tvk/文化放送
お問い合せ先:ウドー音楽事務所 03-3402-5999

*会場内での撮影・録音はお断りいたします。(録画機能付き携帯電話含む)
*6歳未満(未就学児童)の方のご入場は、お断りさせて頂きます。
協力:ソニー・ミュージックジャパン インターナショナル
招聘:ウドー音楽事務所
総合お問い合わせ:ウドー音楽事務所 03-3402-5999 http://udo.jp

PROFILE
THE DOOBIE BROTHERS (ドゥービー・ブラザーズ)
THE DOOBIE BROTHERS (ドゥービー・ブラザーズ)ドゥービー・ブラザーズの原点は、中心メンバーのひとり、トム・ジョンストンがカリフォルニア州サンノゼで結成したトリオ、PUD。当時の彼らは60年代のサンフランシスコを代表するグループのひとつ、モビー・グレイプを目標にしていたという。PUD解散後、パット・シモンズと出会ったトムは'70年にドゥービー・ブラザーズ(当時は4人編成)を結成。翌年、記念すべきデビュー・アルバムを発表。ブルース/ソウルに深く傾倒したトム、フォーク/カントリーにも精通したパットという、二人のギタリスト/ソングライターの特徴を生かした独自のスタイルを確立している。その後、ツイン・ドラムスの5人編成にパワーアップした彼らは、'72年に「リッスン・トゥ・ザ・ミュージック」を全米11位に送り込み、一躍注目の存在となっている。なにかと比較されることの多かったイーグルスが「テイク・イット・イージー」で登場してきたのも、この年のことだ。その後、「ロング・トレイン・ランニン」や初の全米No.1ヒットとなった「ブラック・ウォーター」など次々と大きなヒットを放っていったが、トムが体調不良を理由にツアーを離脱してしまう。代わって参加したのがスティーリー・ダンの準メンバーだったマイケル・マクドナルド。'76年に実現した初来日のステージもこの新ラインナップによるものだった。70年代後半、マクドナルドのヴォーカルとキーボードを核に都会的な方向性を打ち出すようになったドゥービーズは、'79年のグラミーで2つの賞を獲得。文字どおりアメリカ音楽界の頂点に立ったわけだが、'82年、惜しまれつつ解散を表明している。ドゥービーズが「リッスン・トゥ・ザ・ミュージック」や「ロング・トレイン・ランニン」を録音した黄金期のメンバーで再結成をはたしたのは1989年。復活アルバム『サイクルズ』はヒットを記録し、同年秋には来日公演も実現させているが、トムがフロントに立つステージを日本のファンが観たのは、これがはじめてのことだった。90年代半ばには、後期ドゥービーズに貢献したジョン・マクフィを加えたトリプル編成であらためてスタートラインにつき、'00年発表の『シビリング・ライヴァルリー』で健在ぶりを示している。その後も、精力的なツアー活動を展開。'05年にドラマーのキース・ヌードセンが他界すると、元ヴァーティカル・ホライゾンのエド・トスを迎えている。

THE DEREK TRUCKS BAND (デレク・トラックス)
THE DEREK TRUCKS BAND (デレク・トラックス)デレク・トラックスは、1979年の6月8日、フロリダ州のジャクソンヴィルで生まれている。叔父はオールマン・ブラザーズ・バンドの結成当時からのドラマー、ブッチ・トラックス。彼の弟ということになるデレクの父親と母親も、ロックやブルースの熱心なファンだった。家ではいつもオールマンズのアルバムや、そのリーダーだったデュアン・オールマンが大きく貢献していたデレク&ザ・ドミノスの『レイラ』などがかかっていたそうだが、もうおわかりのとおり、デレクという名前はクラプトンが70年代初頭に率いていた、その伝説的なグループからいただいたものである。ある意味で、デレクはミュージシャンとして生きることを運命づけられた男だったのだ。デレクはギターを、彼自身の言葉を借りれば、「身長がギターより小さかったころに」弾きはじめた。もちろん手も小さかった。スライド・バーを使うようになったのは、そのハンディを克服するためでもあったらしい。やがて彼は、スライドでもレギュラー・プレイでもオープンEチューニングで弾きこなすというスタイルを確立。愛器はギブソンSGとフェンダーのヴィンテージ・アンプ。エフェクター類には基本的に頼らない。スライド・バーは、デュアンが使っていたのと同じガラス製の薬ビン。ピックは使わない。その、きわめて個性的なフォーマットで、デレクはあの表情豊かなギターを弾きこなしているのだ。しかし、デレク・トラックスは「天才的スライド・ギター・プレイヤー」という言葉だけで説明できるアーティストではない。15歳で自身のグループ、デレク・トラックス・バンドを結成した彼は、ジャズからインド音楽まで、さまざまな要素を貪欲に取り込み、個性的な音の世界をつくり上げてきた。'99年、つまり二十歳の時にはオールマンズにも正式加入。さらに、クラプトンやサンタナのツアーに彼らから請われる形で参加するなど、その活動の場を広げながら、一般的な意味での知名度を飛躍的にアップさせてきた。

ON AIR CHANNEL
ドゥービー・ブラザーズ/デレク・トラックス・バンドのナンバーをチェックするならこちらのチャンネル!電話リクエストも受け付けています。
★ロック・クラシックス (SPACE DiVA:223 )
★ロック/ポップス (CAN有線:A-12ch /SPACE DiVA:226 )
★リクエスト・ポピュラー (CAN有線:B-3ch)

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